ボクのしゃしんじゅつ
須田一政さんの写真展に行ってきた。
あいかわらずいいなぁ。
観念以前の、言葉以前の視覚という感じ。
…
【ボクのしゃしんじゅつ】
写真術と大上段に構えて他人に言えるものなんかない。私は、ある情景を自分のイメージに構築していくという面倒な手続きはどうも苦手で、ほとんど直感でシャッターを切っている。だから、出来上がった印画は本人にも「はじめまして」で、撮ったものに一番驚いたり、感動したりするのはいつも私で、そのお目出たさ周囲を閉口させることも多い。 無理に写真術というならば、『エイッヤッ!』のひと声の、衝動とも言える術で、魔術のようなものなら試みている。魔術とはずいぶん傲慢な言い方なのだが、要するに瞬間の間術というやつで、あたるもはっけ、あたらぬもはっけのいい加減なものなので、技使いの名人には白い目を向けられるに違いない。写真家、とくにカメラマンと口にするとメカに強いと思われるらしい。とんでもない私のような不器用な者は、印を結んでカメラに向かって威しをかけるインチキ術を駆使するしかないわけだ。 その相手になるのが「日常」というとらえどころのない対象である。 「何を撮ってるんですか」と聞かれて困るのだが、日常というものは個人個人のもので、私自身の日常など限られたものだ。ある場所ある場所の何の変哲も無い風景をそう言い表しているだけで、私が言う「日常を撮る」など曖昧の極みである。 写真にしろ、絵画にしろ、言葉を離れた手段を選んだものが自分の作品を論じるのは危険なことだと思っている。自分の作品がすべて言葉で説明されてしまうのも空しいことだろう。どこかに分析しきれないものを残しながらも、「なんか、いいなあ」と言ってくれる人がいるならば、それほど嬉しい評価はないと信じている。 私の魔法はホウキが飛べるものか飛べないものかは、鑑賞する側に決めてもらうしかない。論より証拠、論より写真と言うことで勘弁してもらいたい。
by 須田一政