欠落した何か
いい写真を撮ろうなんて、これっぽっちも考えていない。 生々しい街や人を感じるために、自分の身をその場に投じてぐしゃぐしゃかき混ぜているだけのような感じがする。
写真は、満たされて幸福な状態では撮れない。
なにか足りないもの、欠落したものがあるがゆえに撮ろうとするモチベーションが生まれるのではないか。
昔から「写真家不幸理論」というものを考えていて、写真家は、この世にたいする違和を内心に抱えていなければ新しい視点が生まれないのだと。
写真を撮ることは、自分の中の違和に向き合うことである。